よく、同じ人間なのに、どうしてこうも違うのだろう。
と、嘆くことがあります。
それは、お金持ちがうらやましいとか、
見た目がカッコよくなりたいとかいうことではありません。
その人が成した仕事のことです。
ムンクは多作で1000以上の絵や版画を残しました。
ムンクの台所には、わずかな食器とちいさなこんろがありました。
ここで、何かを作って食べていたのでしょう。
神経の衰弱から何度も危機を迎えたムンクは、ここに立ちながら何を考えていたのでしょう。
よく芸術家が、その絵を描くことにより体験を昇華させた、
あるいは、描かざる負えなかったという人がいます。
日本では、純文学といえば圧倒的に私小説が多いのは
自分の罪をあからさまにすることにより、
免罪符を得るような感じまでします。
人が生きることに真剣に向かい合っている絵を見たいです。
人物にとってみても、その人の魂まで接近している絵はあるでしょうか。
表面をなぞるだけで終わっているのではないか。
つるつると滑っているのではないでしょうか。
人間の魂はささくれだっているのではないでしょうか。
筆のタッチの重要さは、ゴッホのとおりです。とムンクが生きていたらいうのではないでしょうか。
風景画では、空気やそこのあるべき空間をたっぷり含んでいる絵はセザンヌを見ればわかります。
セザンヌの絵は遠くから見ても、何やら空気のバルーンの中に入っているような感じがします。
空気は透明だから見えないとして、真空の世界になってしまっている超自然な風景絵は奇妙に見えます。
表現主義とは、
自分の信じた道をただ一人行く旅のようなものです。だから、この表現という言葉にあまり縛られなくてもいいのかもしれません。
自分の好きな絵を描くことが表現主義なのかもしれません。